Portrait


2004
「逢花打花逢月打月」
花に逢えば花を打(た)し、月に逢えば月に打(た)す、と読みます。
茶掛けの禅語です。
花が咲いていれば美しいと眺め、
月が出ていれば、いい月が出ているなと仰ぎ見る。
そして後に心を残さず執着の念をとどめない。
花があれば見るが、花がないのに何が何でもわざわざみようとするのではなく、
月は、何が何でも満月でなければいけないなどと、執着することもない。
世界に轟く名花も生ければ、足元に咲く路傍の草木も生ける。
およそ、自分の目の前に現れた万花、万物、万象に迷うことなく
そして執着せず…、「逢花打花逢月打月」。


2001
21世紀を迎えたから…
と、いうわけでもないのですが…
花への思いがやや変わってきました。
もちろん、花を育てる水や光、清浄な空気
自然を慈しみ、その恵みに感謝して生けることに
なんら変りはないのですが…。
最近、気づいたことは、
私が花を見入るとき、花もまた私を見入っているのではないか…
という思いを持つようになりました。
すべてのこだわりを捨て、花が要求してくるとおりの姿を
今は追うのみかな?…と…。


1998
四季折々に咲く野の花を、
身近な花器に、ときには古器に生けてみませんか?
花器、花材、生け方は自由自在。
生け花でもなく、茶花でもフラワーアレンジメントでもない。
形ではなく、あらゆるきゅう屈さや、
煩わしい制約のすべてを自ら振り払ったとき、
究めて自然で、私的な…、あなたの心で生けた花がそこに在る。





〜ふ、花を生ける




FuryusanKitan
〜ふ



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