Library
(2003.4〜)
Nepentheに続く…





Jun. 2004
【白道】
 瀬戸内寂聴/講談社文庫

白道

 たまたま私の住む場所は西行の出生した地と終焉の地、そのどちらにも近く、西行についてのいろいろな想像を膨らませてくれる環境にある。
 その出生地は、紀ノ川がゆっくりと流れ、気候ものどかで、とくに紀州葛城山脈が美しい。大河に沿った街道は古代から開けていて、風土自体にどことなく屈託のない明るさを感じる。学生時代から何人か友人がいて、その地に住む人となりも時代を超えて思い慮ることができる。
西行は18歳のときに宮中に北面の武士として御所に上がり、平清盛らと同じ鳥羽天皇の警護の職に就くが23歳で突然出家する。理由については待賢門院に武士である西行が恋をしたからだとか、親友の佐藤範康の急死であるとか諸説推量されているが、生まれ育った地を肌で感じてみれば、都の空気や人間関係。とりわけ複雑な宮中の閨の世界を垣間見た青年がなんとなく遁世する動機を起こすにたるものがあった事は想像に難くない。動機が恋であれ、仏を求道するための修行であれ、とにかく西行は自らを社会の枠外に置き、世の移ろいを眺め続ける道を選んだ。現代でも脱サラの気分とは得てしてそういうものだという気がする。

「平家にあらずば人にあらず」と言われた平氏一族は壇ノ浦で滅亡。
同じ北面の武士であり、保元の乱・平治の乱で源氏をおさえて中央政界に栄華を築いた平清盛もこのときはすでになく、その一族までも海の中に消えてしまった。西行は鳥羽上皇、待賢門院璋子、平清盛らの行く末を見届けてゆく。
 去りゆく者を次々と見送り、老いを迎え、残された者にとって悲哀や虚無感は大きいものがあるだろう。

西行終焉の地、弘川寺はある程度道路が整備された現在でもいまだに草深い。
「願わくは 花のしたにて春死なむ その如月の望月のころ」
京都、吉野、高野にも庵をむすぶ西行がなぜこの地を選んだか。
「死」への準備、「死」への集中のためと言う気がしてならない。
「即身成仏」という言葉が脳裏をよぎる。
西行の歌のことについてや、ほかあれこれはまた次回に…








Jun. 2004
【呪術探究/巻の二「呪詛返し」巻の三「忍び寄る魔を退ける結界法」】
 豊嶋泰國 他連著/原書房

呪術探究/巻の二「呪詛返し」巻の三「忍び寄る魔を退ける結界法」

 4月に【呪術探究・巻の一/「死の呪法」】をこの頁で紹介し、だらだらと以前に聞いた話を書きこんだところ、よほどの変わり者と思われたか、華道や芸術にそぐわぬ人物と見られたか、このHPの更新を毎月楽しみにしてくれていた花の会の弟子が3人辞めてしまった。私はべつに呪術探求者でもなく、呪いにも呪い返しにも興味はない。もちろん呪術者になるつもりもない。
…というか、なりたくてもなれないことが判った。というのも、私は生来、人の書いた通りのことや人の言った通りのことができない。いわゆるマニュアルに弱い。幼稚園の頃、先生が、「右手に白いオハジキを3つ、左手に赤いオハジキを2つ持ちなさい…」ということですら、その通りにすることが苦手だった。よって本書に大半の頁数を割く技法についても殆どを速読し読み飛ばした。では何にいったい興味を持ったか。気になる現象があったのがきっかけだが、やはり人間の「念」というものを考えるとき、なんらかの手がかりが見つけられるのではないかという期待があったからだと思う。「念」→「電磁波」→「波動」→「共振」。いまのところ漠然と頭の中でイメージできた単語はそれくらい…。
 ところで、本書(巻の二「呪詛返し」)の中で安倍清明のことが書かれていて、なぜか意味もなく震えるような一節があったので引用して紹介。

…『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』といった逸話によれば、安倍清明が嵯峨の広沢池のそばにあった寛朝僧正の坊(遍照寺)で、僧や貴族から式神を使って人を殺せるものかどうか尋ねられたことがある。すなわち「そなたは式神を使役するということだがすぐに人を殺すことができますか」と若い公達や僧から尋ねられた清明は苦笑して、「この道の大事をよくも無造作にお尋ねになるものよ。簡単に殺すことなどできません。しかしながら、少しばかり力を入れてやりましたら、きっと殺すことができます。虫などでしたら、ちょっとばかりの事をすれば、必ず殺すことができますが、清明は生きかえらせる方法を知りませんから、罪を作ることになります。無益なことです」と答えた。
 そのとき蛙が五、六匹ばかり池の方へ飛び跳ねて行くのが見えた。蛙を見ながら公達が「あれをひとつ殺してみてください。本当かどうか試してみたい」とせがんだのである。清明は「罪作りな方よ。とはいえ、私をお試しになろうというのであればやむをえません」とつぶやくと、草の葉を摘み取って何か呪文を唱え、それを蛙の方へ投げやった。草の葉が蛙にかかったと思うと蛙はぺしゃんこにつぶれて死んだ。見ていた者はみな恐怖のあまり顔色を失った、という。


 事実の信憑性云々を論外として、安倍清明の言葉の中に自信に満ちた説得力と不敵とも思える人となりが垣間見えるような挿話だ。








May. 2004
【なぜ安アパートに住んでポルシェに乗るのか】
 辰己 渚/Kobunsha

なぜ安アパートに住んでポルシェに乗るのか

 著者がマーケティングプランナーだからこそこのタイトルがつけられるのだろうなと思う。
まんまと仕掛けにハマってしまっているわけだが、最近Kobunsha<光文社>の本はよく買う。
とにかく洋書でいうところのペーパーブックス…、紙質が軽いので寝転んで読むには腕がくたびれない。
なんで他の日本の本はあんなに重いんだろう。そうそう…それにヨコ書きがいい…。それで思い出すが、たしかに学校の教科書も国語を除いてぜんぶヨコ書きになっている。もしお上が君が代を教員に義務付けるならば、社会の教科書も理科の教科書も英語の教科書以外はすべてタテ書きにするべきじゃないか?あ〜ん?せめて校長センセくらいは卒業式に紋付を着ろよ…ってね…。ああ…象徴たる方も洋装だなそういえば…。
 …脱線したが、私が前の会社で勉強…(???)していたころの尺度(また古いねこの表現…)では計れないということだ。以前はまず最初に人口統計図で年齢層によって括ることを叩き込まれたし、その後は可処分所得だの、海外旅行経験者だの、イノベーターだの、ボリュームゾーンだの、コンサバだの…、なんとか志向層で括ろうとしていた。どうやらそれでもこの複雑怪奇な価値観を持ち始めた消費者を括ることが出来なくなった。もう必要なものも、必要でないものもすべて揃っている。でも私自身もふくめて、じつは常に何か買いたくて買いたくて仕方がないのだ…。一体何が買いたいの?あはは…みんな一体何が買いたいのでしょう?答えは本書に。








Apr. 2004
【呪術探究・巻の一/「死の呪法」】
 豊嶋泰國 他連著/原書房

呪術探求・巻の一/「死の呪法」

 以前…
ずいぶん以前に、ある宗教法人の産業人セミナーに参加し、その中で講師(仮にK氏とよぶ)の話の中で、いわゆる「念」は「エネルギ‐」として放出されれば消滅するという話を聞いたことがある。
断片的にしか覚えていないのだが…
K氏は大空を飛ぶことが子どもの頃からの夢で、大人になって生活も落ちついた頃、趣味でハングライダーを始めた。大空に飛ぶのは爽快極まりない。
 ところが…、どこの社会でも出会うものだが、どうも苦手な先輩が出現し、半年後には精神的な苦痛を感じ始めるようになった。…しかしせっかくはじめたハングライダー。その当時、ハングライダーというかなり特殊な趣味の世界で、ほかに同じようなサークルもなく、何よりも子どもの頃からの夢であり「なにくそ!」と持ち前のがんばりで精神的苦痛を耐え忍び、K氏は黙々と技術の習得に励み、1年もすれば後輩に指導できるほどの腕前に上達した。が、しかし…その先輩のいじめやいびりの内容、サークルを終えてからの自慢話などについては、K氏への嫉妬も含めてより一層耐えがいものとなってきた。K氏はその先輩の性格に辟易し、ついには「クソ食らえ、クソ食らえ」と思いはじめたそうだ。K氏はハングライダーの練習日のたびにその先輩からいやがらせともいびりともつかぬ粘着性の精神的虐待を受けたが、その苦痛を決して言葉に出さず、態度に出すことなく、ひたすら耐えぬき、しかも表面的には従順に振舞いつつ、…その心の中では絶えずその先輩に対し「クソ食らえ、クソ食らえ」と念じ続けたのである。

 K氏によれば、「念」とはガスと同じようなもので強ければ強いほど、大きければ大きいほど、また、溜めてゆけば溜めてゆくほど、いつかは、何らかの形でエネルギーとして放出せざるをえぬ性質、すなわち「ガス抜き」が必要で、本人の意思と行動に関わらず(行動としてエネルギー放出しなければしないほど…)その許容量を超えれば必然的に形になって現れる性質を持っているものらしい。

 彼自身が隠蔽した、その積もり積もった「念」がエネルギーとして放出されたのは、まさに晴天の霹靂。日頃、操作の経験も豊富で何のそつなく大空をスイスイと飛ぶ先輩のハングライダーは飛行中に突然原因不明の失速をした。誰もが肝をつぶした。錐揉み状態で何十mかを落下し、途中バランスを取り戻したものの、すでに地面は近く、着陸するにはまだ飛行中の浮力を残したままだったので、その先輩は着地したまま20mほどを走りぬけ、グライダーごと前に詰んのめるようにして転倒したという。その場に居合わせた者が急いで走り寄り安否を確かめた。幸いケガはなかった…が、しかし…牧場の広大な斜面を利用してハングライダーを行っていたため、K氏の先輩が突っ込んで転倒したちょうどその場所には大きな馬糞が落ちていたという。ようするに彼の先輩はその馬糞めがけてまっしぐらに顔から突っ込んだというのだ。…「クソ食らえ…」。そのときはじめて彼は「念」の力と存在を信じ、ハッと我にかえり思わず合掌したという。

 呪術とはどんなものか?丑三つ時のお百度参りとか、護摩を焚いて経文を念ずるとか、はたまた藁人形に釘を刺すか…という方法を昔からよく聞くが、前述のK氏の話を引き合いに出せば、じつは藁人形に釘を刺した時点で「念」はエネルギーに変わっているのだからすでに放出されているということになる。丑三つ時の百度参りも参る方はすさまじいエネルギーが放出されているのである。護摩焚きも然り…。ではどうするか…何もしないことだという結論が導き出される。よくニュースなどで犯人を指して、同級生や、ご近所の方々が「まさか、あんなおとなしい人が…」とか「虫も殺さぬ顔をして…」とか云うのは、じつは物言わぬ人ほどすさまじい「念」を内に秘めているがゆえに、その充満した「念」からひき起すエネルギーも大きいという証拠であろう。逆にしょっちゅう感情をあからさまに出す人のほうが内なる「念」は少なく、「馬鹿野郎!」と怒鳴ってエネルギーを放出した後は、あっけらかんとしているものなのかもしれない。

 さて前述の話はまったく本書の内容とは関係がない。
本書は呪術研究の参考の書として有効であり、「ケガレ」の概念が成立した歴史的背景、「ケガレ」に対して「清め」が行われた意味などを紐解くことができる。「清め」という行為は数世紀を経て高度に様式化、儀式化されてゆく。本書の中で「石笛」が紹介されていて興味深い。たしかに「音」と霊的なものとの関係はあると感じる。付録CDの「祝詞」について…言葉の意味自体は仏教の経ように哲学的意味を持つもの(持たない仏教の経も存在するが…)とは思えないが、むしろその祝詞の「音韻」には霊性を感じる。長い歴史の中で修錬され、修行を積んだ者だけが発せられる響き。
 何分、私が求めていた答えは本書からは見出せなかったが、3巻までシリーズで発刊されるので今後も注目したい。






Apr. 2004
ルネ・マグリット/田園の鍵 LA CLEF DES CHANPS

ルネ・マグリット/田園の鍵

 高校生の頃に、衝撃を受けた絵があって紹介。
絵を見て衝撃を受けたと云うより正確には絵に対する作品解説を読んで…と云う方がむしろ正しい。なまいき盛りの頃に、世の中の見方を変えた1枚の絵であり、解説文だった。
以下、現代世界美術全集/集英社刊22/アンソール マグリットより、
マグリットの作品『田園の鍵』に対する小倉忠夫氏の<作品解説>全文を引用…。

 カーテンを開いた窓を通して屋外の野原や樹木の風景を見ているとしよう。
その時、急に窓ガラスが割れて部屋に破片が落ちこみ、それらのガラス片に屋外風景がそっくり描かれていたとしたら、私たちは大きなショックを受けるだろう。透明なガラスを通して向こうの景色を見ていたはずなのに、実はガラスに描かれた景色を見ていたわけである。日常生活の中では普通ありえないような<おそるべき体験>を、この絵はさり気なく、しかし明瞭な事実として目の前につきつける。このおそろしさは、私たちの日常生活を支えているはずの常識的事実が一瞬にして崩れ去り、空虚な深淵を垣間見る恐怖であろう。それは肉体的な危険はもたらさないが、認識論的な危機を、さらには人間存在の拠りどころへの懐疑を招くような性質のものだ。これをどう受けとめるかは、見る人しだいである。













Mar. 2004
【蹴りたい背中】
 綿矢りさ/河出書房新社

蹴りたい背中

読みはじめて1頁めからキラリ!☆と光るこの感性。鋭いな…
受賞したのは芥川賞だが、当の芥川龍之介の小説はいったいどこがおもしろいんだ?

この本を読んでgenerationのことを考えたのはどういうことだろう。
generation gapのことではなく…
戦後の日本はbaby boomerTの圧倒的なvolumeによって形成された。
お手々つないで…、みんな同じ、みんな平等、駅弁大学、学生運動、団地、造成地、新興住宅街、 一億総中流(もうなくなったと思うが…)、既製服、既製品、都市計画、画一思考、画一的流行、 乗り遅れ症候群…etc。私達の年代は彼らより遅れてやってきた年代だが、彼らのvolumeがあまりに大きく、 そのnuanceに気付くことなく盲目的に追従していた年代である。彼らが作り上げた 第2のvolume zone・baby boomerUもまた親の背を見て育ち、その価値観をそのまま踏襲。 あらゆる日本の消費性向を牽引した。しかしその価値観や社会通念が怪しくなり始め、 今まで信じてきたことが幻想なのではないか、と誰もが疑いはじめてきた今日この頃、 「みんな、自然にやっているけど、それおかしいんじゃないの?」という眼を持った少女が現れたとしても不思議ではない。
この本の著者、綿矢りささんはvolume zoneUから約10年遅れてやってきた年代にあたる。彼女の視点は戦後の日本人が形成し、もうすでに惰力の状態に切り替わっているにも関わらず、まだ気付かぬふりをしようとする従来の価値観の幻想を見抜いているように思える。しかもその微細な情景を活字に置き換えることに成功したのだと思う。











Feb. 2004
【TAXI DRIVER】

TAXI DRIVER

今日、車を運転中に携帯にメールが入った。
仕事のこと、生きること、現在(いま)のこと…
賢く鋭い人だけに、短い文章ながら、
端的に彼女が今考えている事や、直面している状況が推測できる内容のメールだった。
メールの文末に、話の脈絡にぜんぜん関係なく、
「心に残っている映画って何?」と一言訊ねられてメールは括られていた。

運転中の私は思わず『TAXI DRIVER』を連想した。
1976年制作・主演/ロバート・デ・ニーロ 監督/マーティン・スコセッシ
この映画の中で、車の中から見る外の都市の風景はどろりとした夢の中の世界のように映し出され、舗道を行き交う人々は影か亡霊のように見える。
サントラには、抑圧の効いたトム・スコットのアルトサックスが全編を通じて不安と緊張を醸し、やがて衝撃的なクライマックスへと向かう。

今の自分の状況と考えをリンクして彼女へのメールの返信にしたが、
むろん、それが彼女にとって当を得ていたとは思えない。
まったく自分自身のことだけを書いた…。
でも、それが真実だと思う。あなたにとっても私にとっても…

》以下、好きなシーンとセリフを抜粋

あんたとは、そんなに話したことないけど…
あんたは大先輩だ…

年の功さ…悩み事か?

  …

話せよ…

完全に落ちこんだ。
ここから飛び出して何かやりたいと思ってる。

商売変えか?

でも…よく…いや…、分からん…。

飛び出して何をやってみたい?

いろんな考えはあるんだが…

こういうことを考えてみろ
男が仕事を選ぶ
彼はやがて仕事を身につけ
その仕事しか考えない。
俺のタクシー稼業は17年。
10年間は夜。だが未だに自分の車がない。
要らないし…買う必要もない…
夜勤では他人の車に乗る。
分かるな?
人間なんてなるようにしかならんよ、
貧乏人、弁護士、医者も同じだ。
死ぬ奴、病気が治る奴、生まれてくる奴もだ。
お前はまだ若い、
女を抱け、好きなことをやるんだ。
どうせ俺達は負け犬さ、どうにもならん。

こんなバカげた話は初めてだ(苦笑)

俺達運転手に何ができる?
お前は何を言いたいのかさっぱり分からん。

自分でもわからん。

余り気にするな、のんびりやる事だ。
いろんな奴を知っているがそれが一番さ…

ありがとう…

大丈夫、心配するな。











Feb. 2004
【ヤクザ・リセッション/さらに失われる10年】
 ベンジャミン・フルフォード/光文社
【負け組スパイラルの研究】
 立木 真/光文社

ヤクザ・リセッション/負け組スパイラルの研究

もう…ただごとではない。本当にあぶない状態が近づいている。
私の周囲の知人友人達もこの数年、数ヶ月の間、ついに矢尽き、刀折れ、 次々に力尽きて倒れてゆく姿を見ている。まるでサバイバルゲームだ。 魚というのは末梢神経や中枢神経の構造が人間にくらべて単純なため、水が お湯になったとしても殆ど痛みも熱さも感じないままポッカリ浮き上がると いう話を聞いたことがある。私達も、私達自身をとりまく社会、経済、世界の メカニズムに気付かぬままやがてポッカリ浮き上がるのだろうか。
「景気はいつ頃、好転しそうですか?」「う〜ん…期待的観測も込めて今秋には回復 すると思います。」…よく見かける虚しいニュースでのインタヴィュー風景。 日本の自由経済など幻想にすぎない。私達は人為的に作り出されたメカニズムに よってどんどん力を削がれてゆく。もう何も信頼できるものなどなくなり、 何に期待もできなくなった。頼れるものは自分だけ。己が収集した情報を己が 判断し、あとは己が磨き上げた生命保存の<勘>のみで自らの未来に生き残りを かけるのみ。






Feb. 2004
【津軽三味線】
 高橋竹山/CBSソニー

津軽三味線

BBSに津軽三味線の話が出たので紹介…
津軽三味線、高橋竹山の名が初めて世に出た記念盤ともいえる。
収録は渋谷ジャンジャン。Produceは1973年とあるから私は小学生の分際で 買い求めたことになるか?そんなはずはないので、それ以降に捜して買い求めた ものか…。とにかくその近い年代に手に入れ、聴いていたことはたしか。

中から「口説節」…
その頃は意味もわからず、節のある曲にあまり興味はなかったが
今聴けば…なんとも味わい深い悲恋の一節。
以下は曲中より聴き書き…

<口説節>

花のお江戸の そのかたわらに さてももめずらし 心中話
ところ四谷の 新宿町の
紺ののれんに 桔梗の紋は
音に聞こえし 橋本屋とて
あまた女郎衆の あるその中に
お職女郎衆で 白糸こそは
われもわれもと 名指して上がる
上がるお客は どなたと聞けば
春は花咲く 青山辺の 鈴木主水という侍が
女房持ちにて 二人の子供
二人子供の あるその中を 今日も明日もと 女郎買いばかり …


※尚、「口説節」全文資料はこちら…
http://www010.upp.so-net.ne.jp/tentuku/mondo.htm







Feb. 2004
【蛇にピアス】
 金原ひとみ/集英社

蛇にピアス

全編を通じて胸のあたりから何だかえもいえぬ痛みが伝わってくる。
この痛みは何なんだろうと思う。
キャラクターやシチュエーションをイメージするとき、
映画「トレインス・ポッティング」をなぜか思い出したが、
状況が日本の場合、ドラッグが出てこないぶん可愛さがあるか…?
ようするに、また戻ってゆける道をうまく残してぶっ飛ぶ要領のよさだろうか?
でも、やっぱり、ぶっ飛んでるな…。
もし、このぶっ飛びが本物ならば日本も少しは変るだろうに…
第130回芥川賞受賞作。







Feb. 2004
【バカの壁】
 養老孟司/新潮新書

バカの壁

昨年末、父親が入院した。
その病床の傍らにおいてあったのが「バカの壁」だった。
タイトルを見て興味を持ったので、見舞いの帰途、本屋に立ち寄り、買い求め、読んだ。
私の読書癖は父親譲りだが、そこで…「その本貸してくれ…」…と、言わない親子関係がいくつになっても変な親子関係である。
ちなみに、この親子ニ代で純然たる本だけの部屋を3室所有し、
親子共々、常にリビングと言わず、書斎と言わず、寝台の周辺にも夥しい量の未読、読了後の本が堆積している。

くだんの著書については、まさに帯カバーの通り「話せばわかるなんて大うそ」。
相手を自分の意に添わせようったって、相手は自分の都合のいいように壁を作っているわけだから相手を説得なんてできるものではない。そんなふうなことが書いてあったと思う。それ以上のことは読んで2ヶ月経ったいま…忘れてしまった。
それぐらいの感じで読める本だと思う。







Feb. 2004
【PINKFLOYD・ピンク・フロイド詩集】
 山本安見訳/シンコーミュージック社

PINKFLOYD

70年代〜80年代にかけていつも私の手元にあった「PINKFLOYD詩集」から…

<TIME> by Dave Gilmour, Rick Wrighr, Nick Mason & Roger Waters

 タイム

倦怠にまみれた一日を刻む時計の音
おまえはただ無造作に時を浪費してゆくだけ
故郷のちっぽけな土地から出ようともせず
手を引いて導いてくれる誰かか何かを待つだけ

陽だまりの中で寝そべることに飽き飽きして
家の中から降りしきる雨を眺める毎日
若いお前にとって人生は長く
どんなに無駄に使ってもあり余るほどだ
だが ある日 おまえは
10年があっという間に過ぎ去ったことに気づく
いつ走り出せばいいのか誰も教えてはくれない
そう おまえは出発の合図を見逃したのだ

太陽に追いつこうと おまえはひたすら走る
だが 太陽は沈んだかと思うと
やがて おまえの背後から再び姿を現す
相対的に見れば 太陽はいつまでも変らず
おまえだけがそうして年老いていく
息切れはますます激しく
おまえは刻一刻死に近づいていく












Jun. 2004
【Magnifique Chinois】
 ジャン・ジェン・ホワ/ビクターエンタテインメント

Magnifique Chinois

 だから、深夜にひとりで車を走らせるのは厭だったんだ。
その夜はジャン・ジェン・ホワのニ胡の音色があまりに心に染みた。
1曲目「パリは燃えているか」(加古隆)。しまった…と思った。2曲目「エナジー・フロウ」(坂本龍一)。まだ耐えられる。3曲目「永訣の朝」(加古隆)…堪えきれず涙流れる…。誰もいない隣のシートに思わず目をやってしまう。他合いのない会話を思い出す。笑い声を思い出す。愚痴を思い出す。喧嘩したことを思い出す…。ある夜、道に迷って、無数の祭りの提灯が道路の両サイドを照らし、煌々とした光が延々続く中を、時間を気にして焦りながら、でも、この道がずっと続いていて欲しいと半ば願いながら運転したことを思い出す。今にして思えば、本当に幻想的だが不思議な道を走った思い出だった。

ジャン・ジェン・ホワのニ胡の音。ジャン・ジェン・ホワの存在を知ったのは映画「ラスト・エンペラー」(1987)で、坂本龍一がアカデミー音楽賞を受賞した直後のコンサート。だから概ね14年は経つ。楽曲「草原情歌」は多くのニ胡奏者が弾く中国の伝統的な曲だが、ジャン・ジェン・ホワが奏でると、まるで彼女のオリジナル曲を聴いているような錯覚を覚える。昨年はじめて京都へジャン・ジェン・ホワのコンサートに出かける機会に恵まれたが、じっさい彼女の演奏をライブで観ていると、楽器を弾いているというより、まるで楽器が彼女自身の声で歌っているようだった。

 一方をもぎとられ、今はもう誰とも共有できぬ思い出。ここに残された者はその記憶の残像を胸の中に抱いたまま生きてゆかざるを得ない。







Jun. 2004
【フォー・ルームス】
 クェンティン・タランティーノ監督/アミューズピクチャーズ

フォー・ルームス

 2003年。クェンティンタランティーノ監督6年ぶりの新作「キルビル」には3度映画館に足を運んだ。 最近の映画で、少なくとも「また観たい」と思う映画は稀だ。どんな大作だって、CGのものすごい 映画だって一度観れば充分。気に入った映画なら、あと数ヶ月もすればTVやレンタルで飽きるほど 観ることができる。「あんなナンセンスな映画、何が魅力?」…と、訊かれても困るのだが、1シーン 1シーンをタランティーノ監督の感覚の通り丁寧に撮っていて、日常的に人間が潜在的に持つ狂気と 諧謔を見逃すことができない。…ということだろうか?
「フロム・ダスクティルドーン」で、保安官が日常的に昼の休憩時間を過ごすベく、ベニーの館に入る 前に足のストレッチをするシーン。美人キャスターが事件担当の警部補とインタヴィューするシーン。 そのほかタランティーノ作品の全作品を通じてピストルを突きつける角度。すぐに燃えるアルコール。 「キルビル」の中のアニメシーンでも一貫していて、アニメキャラクターでさえ完璧に演出されている。 映画はエンタティンメントなのでストーリーはそれに即して展開するが、私が見逃したくないのは、 タランティーノ監督が作り出すそんな細かなディティールに興味を持って観ている。それは日頃から 日常を斜めにみている者にしか理解できないのかもしれない。そして…。今からもうすでに今年GWに予定 されている「キルビルVol 2」を楽しみにしている。
「フォー・ルームス」は全4篇からなるオムニバス映画で、タランティーノ自身が監督・出演した 「ペントハウス/ハリウッドから来た男」から、タランティーノ自身が扮するチェスター・ラッシュの 台詞を以下抜粋。

600ドルを数える平均時間は?
 …わかりません。
700ドルを数えるよりも早い時間だ。
賭けは実行する。
斧を持つのがメキシコ人のメイドでも
街のホームレスでもね。

人生は経験の積み重ね、だが些細なことはすぐ忘れちまう。
一方生きている限り忘れられない経験もある。
我々の頼みはフツーじゃない。
あまりに異常だから、ぜったい忘れられない。
君は一生この思いから逃げられないわけだ。
どういう思い出にしたい?
これから40年の人生プラスマイナス10年として…
1秒で1000ドルになる仕事を断ったか、承知したか、
どちらを記憶したい?

テッド、どっちだ?














Jun. 2004
【マクベス】
 ロマンポランスキー監督/コロンビアピクチャーズ

マクベス

 私の好きな監督、ロマンポランスキーの、シェイクスピア原作『マクベス』が劇場公開されたのは 1971年。残念ながら、私は劇場に足を運んで観たわけではなく、その頃、TV番組の映画紹介ではじめて 知った。紹介なのでラッシュの数シーンだけだが、かなり衝撃的だったことを今も覚えている。 私は小学生だった。
それから10数年を経て、2度目はTVの正月深夜放映で偶然出くわし、途中からだったが、記憶に残る フィルムの色調や映画のディテールから、「これは…!」と思い、すぐにビデオをセットした。今は ビデオを持っているが、今後、DVDの発売を期待している。

 映画は、魔女が戦場となるべき地に、呪いの片腕を埋めるシーンから始まり、冒頭からすさまじい 妖気に満ちている。戦勝の帰途、魔女の予言を真に受けた勇将マクベスは、やがて己の野心とともに 悲劇の道を進んでゆく。
 以下、映画中の字幕より抜粋。

「もう眠れぬぞ…」
と、声がした。
「眠りを殺した…。」
無心の眠り…。
心労を解く眠り。
日々の生の終わり。
傷ついた心を癒す薬。
それをおれは殺したのだ。
まだ叫んでいる。
「眠りを殺したな。もう眠れぬぞ…」
「眠れぬぞ、マクベス」

夜の闇よ..
情け深いおれの目を包み
血染めのお前の手で
おれの不安の元を引き裂いておくれ、
翳ってきた
烏がねぐらへ帰る
昼間の善が眠り始めるとき
暗闇の手先が動き出す

血を流せ
ためらうな
女から生まれた者は、
マクベスに手を出せぬ。

マクベスは決して敗れない…
決して…
バーナムの森が動き…
ダーンシネーンに近寄らぬかぎりは…

長生きしすぎておれの人生も黄ばんできた
老いてはきたが名誉も敬愛も従順も伴わぬ
友もない。
それどころかおれを呪う声が根深く澱み
追従ばかり…
それも弱気から拒みきれぬ…

恐怖など忘れた
以前は悲鳴におののき
髪までが…
恐ろしい話を聞くと逆立ったが、
もう恐怖に飽きた…

明日、明日、明日…と
時は小刻みに日、一日と世の終わりに向かう
昨日という日は愚者の死の道を照らす。

消えろ灯よ

一生は動く影
三文役者だ。
出番が済めば消えるだけ
ばかのばか話も同じ、
騒がしいだけでとりとめもない。





Dec. 2003
【A・友の死からの旅立ち・B・Happy Ending/Terry Riley】

友の死からの旅立ち・Happy Ending/Terry Riley

 いくらつらいことがあっても、どれほど悲しくても、現実は放っておいてくれるものではないので、 生きている者にとっては、ハードルのような毎日の日常を飛び越えて行かざるをえない。心のどこか で、現実に起こったことを受け止めて整理しなければ…と思いつつ、煩雑な日常に身をまかせて過ご し、時間の波に流されてゆく…。ふ…と、朝からのスケジュールに、思わず先方からキャンセルが 入り…。すっぽり、時間の空白ができた。2、3日前から無性に聞きたいレコードがあったので ひっぱり出し、通販で買い求めたモジュラーステレオに針を落とす。

 テリー・ライリーはミニマルミュージックの草分け的存在。ミニマルミュージックは、1つの短い フレーズを何度も何度も繰り返して次のフレーズに進んで行く奏法で、70年代、シンセサイザーの パフォーマンスの向上とともに、より複雑な音域や領域を広げて行った。アルバムタイトル 「Happy Ending」は、1971年に制作されたフランス映画「眼を閉じて」のサウンドトラック盤で、 映画公開の翌年にフランスワーナーから発売された。日本ワーナーからの発売は77年。
映画の内容は以下の通り、アルバムジャケットに入っていた紅石竜ニの解説書から…

〜…劇団の2人がフェンシングの練習中、相手は主人公の剣を胸に刺して自殺してしまう。パリに 戻った主人公は安眠用の黒めがねを見つけ、盲人の真似を始める。友の死からのたびだち…。冗談の つもりが本気に。盲人としての生活時間がだんだん長くなる。そうすると、眼を開けていた時には わからなかった社会が、眼を閉じることによって逆によく見えてくる。偽善の社会を後に、主人公は つまずき、ころび、血を流してあえぎながら、パリを離れて1人旅に出る。そのあとをパリで一緒 だった女がつける。疲れきって倒れた主人公。女が優しくつつむ…〜

音楽だけを聴く時間なんて最近はめったにない。晴天だが風が強く、窓の外の木立ちは激しく 煽られる。誰も来ない冷え切った応接室で一人、反復する旋律とともに揺られつづける木立ちを 眺め続けた。そして…、涙って、一粒の涙をゆるした瞬間から、あとは、とめどなく流れる。




Laila Win
4.Dec.2003・Laila Winに…







Nov. 2003
【平然と車内で化粧する脳】
 澤口俊之・南伸坊/扶桑社

平然と車内で化粧する脳
ヒトはネオテニー(幼形成熟)で進化した。
とくにモンゴロイドは、ネオテニーの一番進化した形だという。
ふつう時間をかけてゆっくり進行するネオテニー化は、
戦後、日本人の生活への価値観の変化によって加速度を増した。
しかし…ネオテニーが進化の道とすれば、
いったん動き出したものは、もう誰に止められるものでもあるまい…
…と、いうのが正直なところ、私の感想…。
今から田の字型の家で、じいちゃん、ばあちゃん、親、兄弟と、
顔を付き合わせて住むわけにもいかず、
とどのつまりは、行きつくところまで行かねば、
この先がどうなってゆくのかは、
もう誰にもわからない。
ハーメルンの笛吹き男の奏でる笛の音にのって…♪
みんなでネオテニー化の道を進んで行こう♪




Nov. 2003
【ひきこもる若者たち「ひきこもり」の実態と処方】
 町沢静夫/大和書房

ひきこもる若者たち「ひきこもり」の実態と処方
上記、【平然と車内で化粧する脳】と前後して読むと興味深い。
「ひきこもり」という行動が、日本人に特有の現象というのも、
【平然と…】と、同時に読み進んで行けば理解し易い。
しかし100万人とはあらためて驚いた。
私の住んでいる中堅10市分くらいの人口がひきこもっていることになる。
もちろん実勢はその数よりも多いであろう。
今のまま、日本の社会環境が劇的に変わらない限り、
この数は、増えることはあっても、減少することは考えられない。

しかし、今、考えれば、私達が子どもの頃に提示された未来世界に
自宅勤務…。パソコンを使って、環境のいい自宅で、家族とともに働いている父親の 姿(これはもうすでに現実にある。)や、
自宅で、パソコンや、TV電話で教育を受けている子どもの姿、
ハイテク家電で家事をする母親の姿を描いた空想の絵コンテを
私達の未来生活として見せられたことがあるぞ?
いま絵だけを比べれば、まさにその世界に近づいている…が、
…何かが軋んでいるのだ。
おそらく今後も増加するであろう彼等が、
現在の価値観で、はかれぬほど有効に機能し出した時、
私達は「変身」のグレゴール・ザムザのように、
静かに新しい朝を迎えるのだろうか?




Oct. 2003
【忘れないよ!ヴェトナム】
 田口ランディ/ダイヤモンド社

忘れないよ!ヴェトナム
紀行モノ…と言ってしまえばそれまでですが…
行って見たいですね、Vietnam…。
私、「フルメタルジャケット」のファンですし…
以下…感じたところ抜粋。
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 漠然と、なんとなく生きている。
なんとなくこっちのほうだな、って感じで歩いている。もちろん世の中には自分の進むべき道を、 しっかりとみきわめてまっしぐらにそれに向かっていく人もいるけど、とても多くの人は、朦朧と しながら手探りで生きている。
 もちろん私もそうだ。
 ただ、日本にいるときは、朦朧としているけど目印もいっぱいある。
友だちだったり、テレビ、新聞、本、雑誌…….。いろんなものが「こっちへ行ったら?」と 呼びかけてくれる。ヴェトナムに来ると目印はなんにもない。だからみんな、ほんのちょっとした きっかけを頼りにして、そこから何かをつかみ出そうとする。
 本の一節だったり、夢だったり、つかの間の人との出会いだったり……。




Sep. 2003
【つげ義春の温泉】
 つげ義春/カタログハウス

つげ義春の温泉
仕事柄、できるだけ回避しているにも関わらず、ここに行きついてしまうのは、 いったいどういうことだろう?写真も、挿絵もマンガも…どれもみな、あの時代の懐かしさに あふれている。あの頃、誰もが顧みなかった(…と、私が勝手に思っている)風景が記憶の中に よみがえる。…考えれば、万感胸につまるマンガも、あの時代は多かったように思う。 今は今なりにあるのだろうか…?
機会があれば、氏の著作のマンガもいっぱいあるので紹介したい。
…以下、心に思ふ箇所を多少抜粋…
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 蒸ノ湯。
 到着の日ミゾレが降っていた。山のふもとでみられた紅葉も、ここまでくると落葉している。 八幡平頂上は登山観光客で賑わっているようだが、蒸ノ湯は、地の果て旅路の果てといった観がある。 オンドル小屋でムシロを敷いて毛布にくるまっている細々とした老人をみると、人生のどんづまりを 見る思いだ。
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一般の行楽客にとっては、暗い谷間とちっぽけな滝、中津川の河原は殺風景で、これほどつまらぬ所は ないだろうが、私はここが気に入った。鉱泉業のことはともかくとして、こんな絶望的な場所を 発見したのは、なんだか救われるような気がした。
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以前に読んだ…
【貧困旅行記】
 つげ義春/晶文社

貧困旅行記
『ボロ宿考』より抜粋
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 そこまで極端ではなくとも、そういう貧しげな宿屋を見ると私はむやみに泊まりたくなる。 そして侘しい部屋でセンベイ蒲団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、 世の中から見捨てられたような心地になり、なんともいえぬ安らぎを覚える。
 世の中の関係からはずれるということは、一時的であれ旅そのもがそうであり、 ささやかな開放感を味わうことができるが、関係からはずれるということは、関係としての 存在である自分からの開放を意味する。私は関係の持ち方に何か歪みがあったのか、日々が うっとおしく息苦しく、そんな自分から脱がれるため旅に出、訳も解らぬまま、つかの間の 安息が得られるボロ宿に惹かれていったが、それは、自分から開放されるには"自己否定"しか ないことを漠然と感じていたからではないかと思える。
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Aug. 2003
【サロメの乳母の話】
 塩野七生/新潮文庫

サロメの乳母の話
サロメがヨハネの首を抱く古典絵画や挿絵は、いままで何度も目にすることはあったが、 どういういきさつで、そうなったか…私は知らなかった…。
ここには、それをサロメの乳母という立場から、第三者の目を通して語られる。
なるほど、そういう時代背景に、そういういきさつでああなったのか〜…。その他、神話、 聖書、ローマ時代に登場する有名人物を通説とは違った視点で捉えているだけに、はじめて 知ること多く「読み物」として興味深い。ただしカリグラ帝の馬が、"わが輩は、馬である"…と、 宣ふくだりから、序々に読書速度が落ち始め、最終章には、ほんの数行のみで読書進行が いよいよ止まってしまった。
…カバーの、ギュスターブ・モローの描くサロメ像が魅力的です。




【墨東綺譚・ぼくとうきたん】
 永井荷風/岩波書店

墨東綺譚
期待に胸膨らませて、見たもの、聞いたもの…、そして読んだ本に裏切られることや モノは多い…。しかし、どうしても今、読んでみたいと捜しあて(今や、有名書店でも なかなか在庫は置いていない…。結局ネットで捜した…)、文字通り期待とともに読んだ、 昭和12年、紙上の連載から始まったという「墨東綺譚」(原作タイトルでは、"墨"に "さんずいへん"が入る。)には、さまざまな名曲、名作、名画などが持つ、独特の余韻を 感じさせられた。昔の人達はこんなに、はかなくも、美しく、せつない物語を読んで 大人になっていったのだろうな…と思う。
本当は、何げない日常の連続の中で、男だって、女だって、感情は絶えず振動を繰り返して いる。最初は微かに、やがて大きく、だがまた微かに…。
でも、今の人達が、この小説の行間からそれを読み取るには、かなり感性と放蕩修行が 必要なのかもしれない。




【オカルト】
 田口ランディ/メディアファクトリー

オカルト
ほんの数時間で読めてしまうが、田口ランディのエッセンスは、きっちり感じさせてくれる。 この中で興味をひいたのは、著者田口ランディが、超能力者・秋山眞人との会話の中での印象を、 ブラッドベリの「砂男」と対比して語っているところだ。
超能力者、秋山氏は、十代に超能力を得て、三十代に至るまで悩みつづけたことは、 いかにして「他人の考えを遮断するか」だという。=ほうっておくと、他人の思念がどんどん 頭の中に流入してきてしまう=それに対して無防備でいると、自分が誰なのかわからなく なってしまう=いわゆる田口ランディが言う、ブラッドベリの「砂男」となるのだが、 …ここで、数十年前に読んだ桐山靖雄著「念力」という本を思い出した。そこでは念力を 開発する訓練の中で「集中力」を得るための方法として、=ひとつの中心課題をきめ、それに 関連したあらゆることを想起してゆく=…と説く。ようするに、すでに超能力を持つ人は、 ひとつの対象から想起されるさまざまな思念の流入に苦しみ、また、今から超能力を開発しようと するトレーニングでは、ひとつの対象からのさまざまな思念を想起することが超能力獲得の必須 ステップとしていることだ。ではいったい、あのスプーンをアメのように曲げてしまうパワー =集中力はいったいどこから来るのか?…どうも単純に「スプーンよ曲がれ!」と念じているだけ ではなさそうな気がしてきた。その「曲がれ」の中に膨大な量の情報、想像、経験etcが介在して いないか?…ひとつの事象に、さまざまな思いを致せ…ということか?もしくは、それらさまざまな 思い…情報、想像、経験、etcが、脳から集積回路のように天目チャクラーに集まり「曲がれ」と 念じた瞬間に何らかのパワーが生じるものか…?何かもうひとつのキーワードが出てくれば、 解けそうなパズルだ。能力が備わるか否かは別の問題として…

あと、ちょっと感じたところ数カ所…抜粋…。
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感情こそ私なのだ。
私は感情そのものだ。
私そのものであるものをコントロールできるわけがない。
じゃあ、なんで感情に苦しんでいたのか。
答えは簡単だった。
感情を外、つまり他人にむけていたからだった。
怒りも苦しみも全部自分の内側に向けて、
自分の感情をシャワーみたいに浴びていると、
人間は青い炎を出すロウソクの芯みたいになる。
燃えてるのに、冷たくなる。

電車の中で、偶然に目が合ったりしてしまう人っているでしょう。
そういう時、相手もゴツゴ様の落ちた人だと、お互いににっこり笑顔で挨拶することができるみたい。
 ゴツゴ様がまだついてる人は、目が合ってもこっちが見えてないんだよなあ。
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【生き残りヒモ生活マニュアル】
 赤羽貴志/太田出版

生き残りヒモ生活マニュアル
これほど景況感の悪い昨今…
先行きは見えず、閉塞状況。
リストラ、倒産も明日はわが身の渡り鳥。
とにかく、現代日本の自殺者は5年連続で3万人を超えている。
戦争もなく、これほど国民を遺失してゆく国家があるだろうか?
そんな状況である…
常日頃、健康な脳といえど、前述の状況などを鑑み、
誰しも、時として盲ることがある。
そんなとき、このテの本は人の目を引くものだ。
「そんな生き方をする人の思考とはどんなものだろう…」
書店で他の本を探していて、思わずタイトルが目に触れた。
著者は16年間、定職につかず、ヒモ。いわゆる女性に依存して衣食住をまかない、 かつ蓄財を成している。そして、40代を目前にした今も、その生活を変える意思の ないことを表明している。以前に読んだロバート・K・レスラーの「FBI心理分析官」の プロファイリングを読んでいるような気がしたのは考え過ぎか…。




【紗高楼綺譚・さこうろうきたん】
 浅田次郎/徳間書店

紗高楼綺譚
さて…
四月から始めた「風流山綺譚〜花の会のHome Page」なのだから、
「綺譚話」を読もうと思って、永井荷風の【墨東綺譚】と、
時を同じくして買い求めたのが、浅田次郎の【紗高楼綺譚】だった。
青山墓地のほとりにそびえる高層マンションの最上階、
「紗高楼」と呼ばれるサロンで、
各界最上位のメンバーが繰り広げる綺譚話が独特のタッチで描かれる。
なんだかビビッと響いた一節を数カ所紹介。
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「あんた、金持ちと貧乏人のちがいを知っているかい」
「そりゃあ財産のあるなしだろう」
「そうじゃねえよ。逃げ道があるかないかさ」
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「…人生に運不運なんてありゃしねえんだ。あんたにしろ誰にしろ人殺しに
ならずにすんだのはな――人を殺すことが思いのほか難しかったからさ」
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【水は答えを知っている】【水は答えを知っているA】
 江本 勝/サンマーク出版

水は答えを知っている 水は答えを知っているA
1ヶ月前くらい前に…、
W県K山で、所属するクラブの会合があり、
日曜日、朝の早くからネクタイ姿で出向いた。
ご存知の通り今年は雨が多く、
その日も朝からどんよりと暗い雲が垂れ込め、
あげくに標高900mの山上は深い霧に包まれ…
目的地に到着する前から帰りたいモードは、いやがうえにも高まる。
しかし経験を積むと、こういう場合の時間の処し方は心得ている。
出来る限り、自らの消費エネルギーをセーブし、
魂を殺し、自分は調理される前の野菜だと自分に言い聞かせることだ。
白戸三平の「カムイ外伝」では、それを“空蝉の術うつせみのじゅつ”という。
もちろん眼は半眼がよい…

まったく心に残らぬ主催者役員のつまらぬ挨拶が延々と続き、
午前中のメインである、K学長の話が始まった頃には、
魂どころか、身体までが半死半生の状態であった。
しかし…、学長はえらい。
内容は、ほとんどがこの「水は答えを知っている」の宣伝のようなものだ。
最初は半信半疑。
そりゃあ今のご時世トリックもあり得るよなあ〜
などと聞いていたが、昨今のトマトの栽培にモーツァルトを聞かせるなど、
実際、農家や酒造メーカーが行っている試みなどに
以前から興味があっただけに、
思わず脳の回路に、この日、はじめて電源が入った。
内容については書かないが、
とにかくいろいろな事柄が脳の中でさまざまにコネクトできることは確かだ。
宗教、芸術、科学…、哲学…、解脱…etc…。
なぜ人は祈ってきたか、「念」と呼ばれるものはどこから来ているのか…
「波動は共鳴する…、」
「私たちの体の70%は水でできています…」からはじまる説得性は、
読み終えた瞬間から人生を変え得る1冊。




【ダライ・ラマ、生命と経済を語る】
 ダライ・ラマ+ファビアン・ウァキ/角川書店

ダライ・ラマ、生命と経済を語る
私の記憶が確かなら…
このインタヴューは以前、NHKで放送されたはずだ…。
…しかし、前書きにも、後書きらしい付録のところにも、
それらしいコメントが無いところをみると、記憶ちがいかもしれない…。
それはさておき…、
そのとき、チャンネルを回していて、
たまたま何の気なしにボンヤリ見ていた番組で、
ダライ・ラマ14世が珍しく出演しており、
科学と宗教の関係に論及しているシーンで、
その語った言葉にビビッときた。
いま一度、その言葉をしっかりと確かめたくて
書店で見かけたときに「これは…、」と、思い買い求めた。
たしか、インタヴュアーはダライ・ラマ14世に…、
「科学が、(またはバイオテクノロジーと言ったかもしれない…?)
 仏教の教義に反するような新たな発見(または成果…)を成したとしたら、
 仏教はどう対応しますか…?」…と、
いうような内容の質問だったと思う。
この時期、クローン羊や、クローン人間創造への問題が、
国家や宗教界に対し、さまざまな波紋を投げかけ始めていた時期と重なる。
その番組でダライ・ラマは、
「仏教は、科学(またはバイオテクノロジー…)と
 相反する立場をとるものではない。むしろ…」
「ブッダはこう言っています…」
「…、……。」
 …、…、覚えていないのだ…。

ただし…、ダライ・ラマが発した言葉によって、眼からウロコが剥がれ、
ひとくくりで持っていた認識が変わったことは確かだ。
結果から言えば…
この本から、そのとき聞いたイメージ通りの
正確な言葉を見つけ出すことはできなかった。
しかし、似通った言葉は数頁にわたって散見でき、
かすかな記憶と、認識の狭間を多少なりとも埋めることができた。
私の調べたかったこと以外にもダライ・ラマ14世は、
お金のこと、経済のこと、生と死について…、などなど…、
ポジティヴにフランス人実業家ファビアン・ウァキ氏の繰り出す
インタヴューに応えている。
賢き方の言葉を、たまには聞かねば…


風〜


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